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京都・寂光院全焼

2000年5月9,10,22日の京都新聞です.



一瞬のうちに炎の海 寂光院全焼 住民らあ然

パチパチと火の粉を噴き上げ、火柱のような猛炎が寝静まった大原の里の夜空を赤く染めた。九日未明に出火した京都市左京区大原の寂光院の本堂は、「夢であってくれ」との祈りもむなしく一瞬のうちに炎に包まれた。約八百年の風雪に耐えた本尊の重文・地蔵菩薩像は黒く焼け焦げ、長年にわたり住民が守り続けた本堂は、焼け落ちた。寺関係者や地域住民はぼう然と焼け跡を見つめ、山里の古刹(こさつ)拝観を楽しみに訪れた女性観光客は、突然の火事に驚きを隠せなかった。

 「誤作動であってくれ」。寂光院の境内で宿直中だった近くの工務店経営佐々木進二さん(54)は、火災を知らせるベルが鳴り響くのを聞いて、こう祈った。しかし、本堂に向かうと、夜空が真っ赤に染まっていた。「もう、あかんのか」。無念さと闘いながら、駆け付けた近所の住民たちと消火栓からホースを引き出し、重要文化財の地蔵菩薩像に水をかけ続けた。

 近所で土産物店を営む奥田雅子さん(38)は、隣家の住民に起こされた。地元住民と懸命に消火に当たったが、火勢は増すばかりだった。「まっすぐ火が上がり、見る見る燃えて」。こう話すのがやっとだった。

 近所の造園業中辻英一さん(56)も宿直中に、寺の女性からの電話で出火を知った。見ると、本堂の西側付近が炎に包まれていた。「夢をみているのでは」と、われを失った。

 地元の住民たちは、寂光院がいつも火の気に神経を使っている姿を見てきた。近くで民宿を経営する山本修さん(64)は「境内の外で花火をしていても、宿直員が注意しに飛んでくる。雷が鳴っだけで門を閉めるほどだった」と話す。

 地元の住民も防火に協力し、寺に出入りする業者五人がいつも交代で、宿直に当たってきた。宿直の中辻さんも前夜の午後十一時半に見回りに出たが、「異状はなかった」と話す。宿直仲間の佐々木さんは「本堂には二十ワットの電球一つとマイクのコンセントがあるだけで、火の気はまったくないのに」と悔しがった。

黒こげ本尊の菩薩が守った  像内の仏は無事

真っ黒に焼けこげた本尊の胎内から、多数の小さな地蔵菩薩像などを納めた桐箱が、ほぼ無傷のまま姿を現した。九日未明、京都市左京区大原の寂光院本堂を焼失した火災は、国の重要文化財で本尊の「木造地蔵菩薩立像」に壊滅的な損傷を与えたが、本尊に守られるように、像内の納入品は奇跡的に難を逃れた。「心配していたが、無傷で残っていてくれたとは…」。調査作業を見守っていた寺関係者や地元住民の間に、小さな希望の光がともった。

 高さ約二・五六メートルの本尊の胎内には、多数の像内納入品があった。五~十一センチの地蔵菩薩の小像三千四百十七体や教典五巻、香袋など、本尊本体と一括で重文指定されている貴重な品々が十七個の桐箱に入れて、像内に納められていた。

 本尊の調査はこの日午後、京都府警の現場検証の合間をぬって行われた。

 午後三時すぎ、美術院国宝修理所(東山区)の技術者五人が、炭化した本尊の背板を外すと、桐箱が無傷で姿を現した。関係者や住民が息をのんで見守る中、陽光に白く輝く桐箱は次々と運び出され、焼失した本堂南側の客殿に仮安置された。

 府教委文化財保護課によると、箱は少し湿っているものの、中の小像などはすべて無事だった。

 箱を取り出した後、炭化した表面を保護するため、本尊は白い布でくるまれ、慎重に本堂から客殿へ運び出された。

 同寺の尼僧滝沢智明さん(64)は「本尊が焼け落ちてしまったのは残念というほかない。でも、多くの小像が残り、これからも仏様を守ることができる」と、かすかに安どの表情を浮かべた。近くの主婦田中智子さん(45)は「あれだけ焼けているのに、本尊のお地蔵さんは崩れることなく立ち続けていた。せめて胎内の仏さんたちを守ろうという不思議な力を感じる」と話していた。

再建すぐには…  京都観光の名所 地元に打撃

寂光院は、洛北・大原では三千院とともに全国的に知られる観光名所で、毎年十一月の紅葉シーズンには一日に約五千人が訪れる。このゴールデンウイーク中も、多い日は約二千人の観光客でにぎわった。それだけに、観光への打撃を心配する声も出ている。

 寂光院で拝観受付をしている岩松義治さん(64)は「女性に特に人気のある観光地で、平家物語を学校で習った修学旅行の中高生も大勢訪れます」と話す。

 本堂を焼失した寂光院は当分の間、拝観を中止する。寺の周辺には、観光客向けのみやげ物店や飲食店、民宿が計十数軒あり、地元の大原草生町内会の山本会長(62)は「庫裏に見舞いに行き、小松住職と会った。落ちついた様子で『町内や近所の人に迷惑をかけて申し訳ありません。よろくしくお伝え下さい』と話されていた。本堂の再建や本尊の修復は一、二年ではすまないだろう。これからが地元にとっても大変だ」と話した。民宿を経営する男性は「ゴールデンウイークは終わったが、これから観光客は訪れてくれる時期。どうなるのか」と不安な表情で語った。

 一方、福井県から観光に来たグループの一人で、火災現場に出くわした西野陽子さん(22)は「きょうは大原散策をしようと、ぶらっと来ましたが、びっくりしました。寂光院は雑誌にも紹介されていたので、拝観したかったのですが…」と残念がった。

 神戸市から二人できた主婦、小附亜由実さん(35)は「女性の寺の寂光院が、一番の目的でしたのに。なかでも仏像を見ることを楽しみにしていました。きのう一泊していたので、早く見ておけばよかった。とてもいいお寺なので、残念です」と話していた。

本尊のお心ここに  寂光院住職 焼け跡でお祈り

放火で焼失した京都市左京区大原の寂光院本堂前にたたずみ、小松智光住職(90)が毎朝、再興を祈っている。焼け落ちた本堂に手を合わせ、本尊の地蔵菩薩立像が修理調査のために運ばれた美術院国宝修理所(東山区)に向かい、拝む姿が見られる。小松住職は「地蔵様のお心はまだここにおいでになる。本堂を再興し、お迎えしたい」と語った。

 小松住職は、九日未明の放火事件の翌日朝から、境内の庫裏を出て、つえをつきながら本堂前に向かうようになった。シートに囲まれた本堂の前で頭を下げ、手を合わせる。また、美術院国宝修理所のある南方向にも礼拝する。

 焼失前は、弟子の尼僧五人とともに早朝、本堂で勤行するのが日課だった。「本堂の蓮台には、地蔵様の霊気が感じられる。まだそこに(地蔵菩薩が)おられると思って」と本堂前で拝む。

 「再建ではなく、復元したい」と、本堂を元の姿に戻したい気持ちを強調する。しかし、焼けた屋根のこけらを調達するだけで、相当な時間を要するという。「一、二年では(復元は)無理。私自身高齢であり、本尊とも少しでも早い復元を目指したい」と語る。

 本堂や本尊のほか建礼門院、阿波内侍(ないし)の両像も焼失し、寺の拝観を再開するめどは、今のところ立っていない。観光客の減少で、門前の飲食店や土産物店が大きな痛手を負うなど、放火事件は大原地区に深い傷跡を残す。

 「人々は平和の世界を作るために、『六度』を励まなければならないと、仏の教えにある。そうした教えに無知な犯人が(放火)事件を起こした。犯人を含め、人間だれにも慈悲の心はある。反省し、改心してほしい」。小松住職からは恨みの言葉は出てこなかった。



それから10年の歳月が流れ,2010年5月11,22日の京都新聞では,


心癒やす仏像彫り続け 寂光院放火から10年、門前の漬物店主

京都市左京区大原の寂光院本堂が放火で焼失してから10年。火災をきっかけに仏像を彫り始めた男性がいる。長年親しんできた本尊・地蔵菩薩(ぼさつ)立像は焼損したが、記憶に残る柔和な表情を思い起こしながら、自分の理想の仏像を追い求めて日々、のみを振るう。

 ■本尊の柔和さ、思い出し

 寂光院の近くに住み、門前で漬物の製造・販売業を営む奥典郎さん(62)。幼いころから境内が遊び場だった。「商売ができるのもお寺のおかげ」。大人になっても、足しげく通い、地蔵菩薩立像に手を合わせた。

 火災発生は2000年5月9日未明。奥さんも駆け付け、本堂に池の水をバケツで必死にかけ続けた。しかし本堂は焼け落ち、地蔵菩薩立像も黒こげの無残な姿になった。「まさかこんなことが起きるとは…」。信じられなかった。

 火災の後「仏教についてもう一度学ぼう」と、何冊も仏教関連の本を読んだ。仏教について学ぶうち、仏像を彫りたいと思うようになった。

 彫り始めたのは8年前。独学で、仏像の写真集からアイデアを得る。彫っている間は心が穏やかになるという。「彫るのが楽しい。だから毎日が楽しい」と話す。

 制作は年1体のペース。現在8体目を制作中だが、どんな仏像を彫っても顔はどこか焼損した地蔵菩薩立像に似るという。「優しいふくよかなお顔だった。特に目が優しかった」と目に焼き付いた姿を思い起こす。「もっとうまくなったら、燃えてしまった地蔵菩薩を彫りたい」と考えている。

放火許さぬ、10年の誓い 寂光院で消防訓練

放火事件で本堂焼失から10年を迎えた京都市左京区大原の寂光院で11日、左京消防署と住民らの合同消防訓練があり、火災の再発防止を誓った。

 火災は2000年5月9日未明に発生。本堂を焼失し、国の重要文化財で本尊の木造地蔵菩薩(ぼさつ)立像なども焼損した。

 訓練は、再建した本堂から出火したとの想定で、同寺の職員らでつくる自衛消防隊や消防団員ら約30人が参加。本堂からの煙に気付いた自衛消防隊が消防署に通報と初期消火を行い、駆けつけた大原自主防災会の人たちが仏像に見立てた模型を運び出した。消防署員がきびきびと放水し、万が一に備え、それぞれの動きを確認した。

 同院の増田康信さん(39)は「10年たち、火災の恐ろしさが風化した部分もある。訓練を契機に、二度と火災が起きないよう緊張感を高めたい」と話していた。



全焼の後自分はまだ本院を訪れたことがなく,どのように再建されたか分かりませんが,この放火事件は犯人がわからずこの5月で時効になってしまったようです.
また,約一年前の2009年5月には放火事件で焼損,黒焦げとなったご本尊(旧本尊の地蔵菩薩(ぼさつ)立像)は特別拝観が行われ、炭化して黒くなった旧本尊に参拝者が手を合わせた,とのことです.
京都・寂光院全焼_a0163195_2515829.jpg

懸命の消火活動にもかかわらず、放火と見られる火災で焼け落ちた寂光院の本堂
by ten-years | 2010-06-03 02:53
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